お盆ですね

今年のお盆はなんだかすごくバタバタしています。いや、毎年そうか…。

このお盆のマイテーマは尊厳かなと感じています。戦争や事故、その他様々な理由でお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、いま生きている方々にも今年はとても自分の目が向いています。

私は日頃から供養に関心があり、お亡くなりになられた方々にいかに穏やかにお過ごしいただくかを考えてばかりいるのですが、それをするためには、同時にいま生きている方々について考えることも大切で、まさにこのお盆はそのことについて心身を浸す時間となっているように思います。

実は先日、親族が事故にあい、検査の結果とくに問題はなかったのですが念のため入院するということがありました。

入院準備やら何やらでがむしゃらに動いていたのですが、家から病院まで着替えなどを運んでいる時、ふと、これでこの人の生が終わってしまうこともありえるのではないか、あのとき自分がこうしていればこんなことにはならなかったのではないかと、それまで抑えていた問いを恐る恐る立ててみる瞬間がありました。

結果としては、いまその問いを立てることに一体何の意味が?と別の自分に強く一蹴され、目の前のことに集中して過ごすこととなりました。あの瞬間、もしかしたらご先祖様やご縁をいただいている神仏のどなたかが、易き方へ流れようとする私の頬を叩いてくださったのかもしれません。考えてもすぐには答えの出ないことを「無防備に」考えるというのは、人を容易に暗闇へ誘います。禅問答をしたいなら必ず誰か、自分以外の生きている人と一緒にした方がよいように思います。

病院では患者さんに献身的に尽くす医療関係者の皆様、そしてご家族の皆様の姿を垣間見、先ほどの自分の揺れなど一瞬でどうでもよくなりました。そして皆様の姿を見よう見まね、私は目の前の親族に集中することができました。別の言い方をすると、それ以外の過ごし方がありませんでした。目の前に困っている人がいて、その人を助けようとする。ひたすらそれを繰り返す、円環。

親族は幸いにもすぐに退院でき、いまは家で徐々に落ち着きを取り戻しています。いや、「戻して」はいないのだろうなと感じます。不可逆です。これまでの自分を「思い出し」、似たような動作をしてみることで「落ち着くことにした」と言う方がしっくりくる気がしています。何事もなかったフリをするでもなく、かと言って過剰反応するでもなく、起こったことを受け入れようとする、引き受けようと試みるとでも言いましょうか。それは痛みを伴う作業になるだろうと感じています。今はなんとも無くても、数年後に今回のことをきっかけに何かが起こるかもしれない。それは誰にも分からない。いま、目の前のことに最善を尽くそうとしてみる。これもまた、それ以外の過ごし方がないのかもしれないけれど。なんだってそうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

尊厳とは。

このブログを書いている最中、大変興味深いテキストに出会いました。

「人間の尊厳とは何か」
著者: 芝田英昭
立教大学学術リポジトリ

お盆はようやくこれから本番で、まだまだ私は「禍中」にあって、今年の夏を振り返ることができるのはずっと先になろうかと思います。

皆さま、良いお盆をお過ごしください。

youkou

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